2024年04月28日
故障(byルニ)=====
2024年04月23日
行き時LIVE日和(byクスちゃん)
あったかくなって来たからお出かけOK!
と宣言、してはいないけど。
昔はあったり前だった、ひさびさ関係筋のかたのLIVEにお出かけした。
演歌歌手・山口ひとみちゃんから『ぜひ来てね、、、!』とご招待。
実はこないだ頼まれてカラオケを作ったからそのお礼を兼ねてかもしれない。司会は島敏光さんでお二人はゲストなんだそう。ひとみちゃんはコペちゃんが作った歌も歌うそうだ。
しばらくするとなぜか島さんからもご連絡があって『席があるんでもう一人ご招待で連れてきて〜』とのこと。しかもなぜか『男じゃなくて女の子ね』とか言う。
そこで、仲間のシンガーで島さんと共通のお知り合いである木村玉緒さんにお声をかけると快諾。子ではなくれっきとした大人の女性であります。
曙橋『BACK IN TOWN』は皆さんよくご存知のちょっとカントリー系のはいったハウスで、入り口にはたくさんの出演者メモリアル写真が飾られている。玉緒さんもかつてよく出演されていたとのこと。老齢のマスターがさりげなく接客されていてオケ出しも見事。
オシャレで優しいけどカラオケが出ない、、、という新参のお店とはワケが違うよね。なーんて言ってたら、クレーマー女と後ろ指さされちゃうから黙って拍手をキチンとしようイエイー。
ベテランのステージワークはさすがで充分楽しむことが出来る。ひとみちゃんの見事な歌唱力でバンド『ホームタウナーズ』の皆さんも気合がはいってたし、島さんの歌はやはりお父様のDNAが為せる技か、ステージに居るべきエンターテイナーだなあと感動。お二人はMCで私達のこともきちんと紹介して下さり、頭がさがる想いだった。
しかしッLIVE自体が長い。次々といろんなおじいちゃまがご紹介されレジェンドが続く続く最近みんな長過ぎる。お仲間のあまねちゃんが始まる前に『実は長いので途中で帰るのもあり、、、』とそっと教えてくれてたので、玉緒さんも次の日早いしとのことで2部のゲストコーナーが終わって3部に突入しばらくして2時間半あたりで失礼ながら中座、、、。
私達も年とると早寝早起きだからねなどと勝手に理由づけて、でも主役の杉はじめさんは88才になんなんとしてカクシャクと背筋のばして立派で脱帽だ。今も島さんのお父様の遺影に両手を合せるという。私たちもまだまだガンバローねと玉緒さんとおしゃべりしながら地下鉄で手を振った。
帰ったらコペちゃんのデスクに次なるLIVEのチラシ。
こちらは二胡奏者のチェンミンさんから、直々にリサイタルへご招待されたそうだ。アレー大丈夫かな、私より体力なさげなコペちゃん、同じく二胡の真真さんが『任せて!』と手をあげてくれた。
お知り合いのLIVE、やっぱり行ける時に行きたいよね。
2024年04月15日
花祭りと人生(byコペ)
春ウララ、、、、
「やっと体調が戻りました!」
と、花祭りの甘茶をくれたのは、蟠龍寺の副住職・龍雄君。
立派に、小さなイベントを大きな身体でこなしている。
昔々、彼の将来を夢見た私。
ベースを弾いていたので、知っているベーシストの中でかなりの腕利きであるボビーワトソンをくどいて、龍雄君を弟子にしてもらったことがある。
ご近所に引っ越して来たこともあり何ヶ月かベースのレッスンを受けさせてもらいにご自宅におじゃましていたのである。何と言ってもボビーは『チャカカーン&ルーファス』でグラミー賞を受賞しており、ゴールドディスク等も飾られていた。
*左がボビー、お子様は何と4姉妹なのだ。
一番右が当時の龍雄君、手前後ろ姿はヨッシー君
しかして龍雄君はベース人生に結論を出した。
今はボビーは実家のカルフォルニア郊外に、龍雄君は下目黒、それぞれの人生を精一杯歩んでいる。そんな甥っ子と話をしていると、遠くからクスちゃんの声。
すでに大人に成長した息子ヨッシー君からの電話。お前の人生、どうなってんだーッ、、、、と心の中で叫ぶ。
そんなコトより自分の人生はいかがなものなのか、、、
と自問自答する花祭りであった。合掌。
2024年04月09日
記憶と記録は大違い(byクスちゃん)
水沢有美さんの朗読劇のお芝居、縁あって観に行った。
舞台では華やかな有美さんの歌もたっぷり聴けたし、ひさびさのユッタリ時間を過ごす事が出来た。
有美さんとは実は今まで密におつきあいさせて頂いたことがない。
6才から劇団四季の子役で玉三郎さんとも共演され、何といっても先輩たちにとっては『青春とはなんだ』や『俺たちの旅』での女優さんとして、知る人ぞ知るTV界のマドンナだったそうだ。
歌のデビューも高校生の時に西郷輝彦さんとのデュエットだったとのこと。デビュー曲のまっすぐ澄んだお声をラジオ『ラブリーアイランド』のゲストで聴くことが出来た。
この有美さんの旦那様が有賀恒夫さん。有賀さんは今の私の作家デビューを支えてくれた大切な人だ。
日本屈指のレコーディングディレクターとして、私がソングライターとして所属していたレコード会社アルファで。まだ何のヒットもない時にお給料まで頂いて、ずいぶんとバッチリ、時々ゆるーくご一緒させて頂いてたのだ。
その中でヴォーカルグループ『サーカス』への提供曲は言うに及ばず加入まで促してくれたり、伊藤ゆかりさん、朝比奈まりあさんなどの楽曲提供など、次々とお声掛け頂いて活動が続けられたっけ。
最近ちょっとスキャンダルな若林志穂さんのシングル曲も有賀さんからのお誘い。今でも中学生の志穂ちゃんとの日々は印象に残っている。

中学3年の受験生が主人公で
英語の構文『So that なので More than ~』(汗;)
お芝居の公演では有賀さんとはすれ違いになっちゃって残念だけど逢えなかった。コペちゃんに伝えたら若林志穂の曲をひっぱり出したので一緒に聴いてみた。
アレッ、ええと、、、このフレーズを作ったのは私だっけ、コペだっけ?、いやこのサビはドッチ、とどこからどこまで二人のどっちの作だか結局わからないまま(笑)その日は終了。
ちなみに有美さんの従兄弟の望田一郎さんにはたくさんのCMソングのお仕事を頂きました。弟の夢生ちゃんには学生の頃よりレコーディングでお世話になってきました。みんな同じ小沢家一族だったことを最近知り、有り難くハハーッとひれ伏しながら記録がないので焦る、、、
記憶より記録は大事だよね、そんな事を気づかせてくれた水沢有美さんでした。これからご一緒にいろんな素敵な記録が出来ますように。。。